あくまで私見と前置きした上で書かせていただく。
私の見習い先は、常傭の職人(以降、社員)と手間請けの混在だった。
社員は日給月給。手間請けは1ヶ所いくら(1現場いくら)
収入は手間請けのほうが多い。
その2種類を客観的に見て感じたのは、社員は緩いという事だ。
社長(親方)が恐ろしくいい加減な人で、寸法の測り間違えなど日常茶飯事。
現場を納めるには、すぐに動ける社員を雇用するしかない。
だから、社員の身分は保証されていた。
が、手間請けはミスのカバーを行わない。
カバーした分、手間代が増えればいいが、そうはいかない。
同じ時間で完成させていく。
手抜きも目立ったが、プロ意識は高かったように感じた。
身分が保証された社員は、向上心は無かった。
いない人の悪口ばかり、給湯室のOLかと思うほどだ。
(給湯室の件はドラマの話である)
新しい部品に対応ができず、古い技術を更新できない。
(それでも当時は対応できた。今は無理だろう)
手間請けは少しでも効率を上げるため、常に新しい事にチャレンジしていた。
電動工具も揃え、治具も持ち歩く。
話は過去の武勇伝(これも考えものかもしれないが)
人の悪口を言っているヒマは無い。
念を押すが私見である。
社員は「社員でしか活動できないレベル」、手間請けは「どこでも戦える(人格はさておき)」
当時は職人に社会性、社交性を求める事が少なかったので、腕と守備範囲が広い=良い職人だったとすれば、手間請けに軍配が上がる。
社会主義もそうだが、過ぎたる安定は怠慢を生む。
当たり前である。人以上に動いても収入は変わらないなら、人並みで抑える。
優秀な人が人並みで抑えれば、人並みはもっとサボる。
どんどん平均値が下がって、国(会社)は貧しくなる。
これを低減するには「サボったら粛清(解雇)」が必要という事だ。
現代の会社は社員の身分保障が高くなった。
悪い事では無い。が、社会主義よろしく、本来の実力を出さない社員もいるだろう。
正当な評価が無ければ、サボるか去るか。
これは昔から変わらず、社員雇用の職人はサボったのである。
能力、実力の高低ではなく、仕組み次第で成果が変わってしまう事もある。
だから、私は職人の社員雇用は反対だ。
ある程度の実力を身に付けたら独立し、正当な評価を得るほうがいい。
そして、支払う側も能力に応じて払うべきだ。
今のような人工請け負いのシステムでは、職人は成長しない。
社員と差が無いからだ。
最後に愚痴王の話になるが、愚痴王は人工の増額に固執している。
これこそ怠惰の頂点である。
安定賃金を高めたら職人はサボる。
少なくとも、経営者や発注元はそう考えている。
安くても請ける人がいるから高くする必要が無いのではなく、高く払う意味が無いのだ。
高い報酬を得たいなら、レベルの高い仕事を自ら獲ればいい。
これは下請け、元請けは関係無い。
要するに愚痴王もサボっている側という事だ。